私、脊髄小脳変性症です。kiki ’s blog

母方の家系の遺伝性脊髄小脳変性症(SCD6)を発症しました。私がどんなふうに生活しているのか知ってもらえたら同じ病気の人の何かの励みや参考になれば幸いです。落ち込む時もありますが一生懸命生き抜く事が母との約束でもあります。

障がい者として自分らしく生きる事は…

去年から障がい者求人での就業を目指していました。

障がい者専門の転職サイトに応募して面接に行き、応募した大企業の面接のうち、畑違いの業界でしたが、1社だけ最終面接までいきました。

体験入社できるところまで行ったのに怖気づいてしまい、断ってしまいました。

身の丈の会社を探してハロワークに行き、ハローワークから紹介されたところで面接をし、採用されました。

今年中に障がい者の相談支援専門員の講習を受け、支援専門員として仕事をしていこうと思っていたところ、2週間ほどたってから、

「あなたにこの仕事が1ミリもできるとは思わない」と年下の上司に言われ、パニック!

ハローワークからも紹介され、採用が決まって就業しているのに、今更できるとは思わない…なんて…言われても…え?!やめろっていうこと??!!

「1ミリ…」そんな事を言う上司のいるところでは働きたくない。

次の日、家を出ましたが出勤することが出来ず、そのままハローワークに相談に行きました。

結局退職することになり、次の職を探すにあたり、私が「1ミリもできるとは思えない」と言われた障がい者事業の内容も勉強してやろう…と言う悔しい思いもあって、就労支援事業A型の職場を選びました。

そこで約6か月いましたが、同じ障がい者が支援員をする難しさがありました。

私の方が仕事ができないんです。同じ仕事内容だと…

就労支援型の作業内容は、利用者さん毎に違います。

個々の利用者さんの能力によって仕事を考えるます。

その利用者さんができるように仕事の内容を支援員が工夫することになるので、同じ作業でも若干やり方が違う場合があります。

私が就業した就労支援A型は、ヤフオクで着物の中古品を販売する事業でした。

中古で卸から購入した中古の着物を解いて生地にして販売したり、状態の良い着物や帯をそのまま販売したりして利益を上げる事業でした。

なので、着物を解く作業、アイロンをする作業、アイロンをしたものを汚れを取ったり状態を見る作業の工程と、着物や帯の写真を撮って加工してヤフオクにUPする作業行程と…それぞれできる事をする仕事です。

パソコンを扱える人と扱えない人、パソコンをしてみたい人等の利用者さんの希望等を総合的に聞いて、いろいろと作業をしてもらい、最終的には一番やりやすい事を担当して頂くことになります。

私は主にパソコンを使った作業だったので、パソコンを扱えない利用者さんとのコミュニケーションが不十分だったのかもしれません。

フラフラとめまいがしてさっさと行動できないですし、入社して1か月たったところで事故をして長く休みましたし、骨折したので重い荷物は持てませんでしたし、「大丈夫かいな…」「支援員として仕事になってないんちゃうん」って噂をされて、噂をしていた利用者さんの中でエスカレートした方から無視され、あげくに仕事時間内に、突然訳の分からない事を言われました。

”火の無いところに煙は立たない”

私の信用がないのだ、と思いました。

他にも何かあったかもしれないし…

精神疾患の方は信用を取り戻すのは難しい。出来ないと思いました。

 

支援員は障がい者じゃない方が良いと思いました。

同じような手帳を持った人だと不安に思うのかもしれません。

見た目大事ですね。

 

大きな企業に就職していたらどうなっていたかな?

ちゃんと仕事ができたかな?

大きな企業に障がい者雇用したら安心だったのか、それとも負担に思うようになるのか、どっちだったかな?

将来、選択を間違ったことを後悔しないような未来にしなければいけませんね( 一一)