私、脊髄小脳変性症です。kiki ’s blog

母方の家系の遺伝性脊髄小脳変性症(SCD6)を発症しました。私がどんなふうに生活しているのか知ってもらえたら同じ病気の人の何かの励みや参考になれば幸いです。落ち込む時もありますが一生懸命生き抜く事が母との約束でもあります。

大殺界はある?

今年は散々だった( 一一)
昨日も少しブログの書きましたが、今年6月,私の前方は青になった横断歩道を自転車で渡りかけた時、止まり損ねた単車に滑り込まれ転倒しました。

「左鎖骨遠端位骨折」「頸椎捻挫」「頭部打撲」
救急車で近隣の大きな病院に運びこまれたました。

「折れてるね~」と救急外来の先生にニタッと笑われました。
よ~くみると、鎖骨の端
肩とつながっているちょっと鎖骨側の細い部分の背中がわが「パカッ」と割れていました。
「骨折」と言うか、割れている?裂けている?f:id:kiki-nisikimi:20171031115006j:plain
救急外来で取ってもらったものです。
体の中にある骨や筋肉がリアルに見れました。
ちゃんと色もうっすらついています。
誰が見ても「骨」「筋肉」に見えるようになっているようです。
あんまり生なましい物も嫌ですけど、これくらいだったら頷けます。

おかげで2カ月ほど固定バンドを着けさせられました。
救急外来の先生は
「はい、胸を張ってぇ~春日知ってる?トゥース!だよ。トゥース!」
と言って、固定バンドを着けてくれました。

それから2カ月、固定バンドを着けた私は、ただでさえフラフラしているのに、動きにくい毎日を強要されました。
起き上がるにも、すっと起き上がれなくてひっくり返った亀状態。
最初にうちは寝返りを打つのも一苦労。
左肩や左腕をできるだけ使わない様に、非力な右腕だけで生活しなければいけませんでした。
折れたところが、これ以上折れないようにしなければいけませんでした。
これ以上折れたら手術です。
鎖骨部分を切って、骨と骨を繋げる手術…(@_@。

今となっては、手術した方が回復が早かったのかどうかわかりませんが、完治するまでに5カ月かかりました。
単車とぶつかった時に少し飛ばされたせいのか、鎖骨がおれたので左肩を動かせなかったせいなのか、首の筋肉が痛くなり、頭痛まで感じる毎日でした。
「いつかは終わる…」
と自分に言い聞かせ、生活していけないので1か月半が過ぎるころ、固定バンドをしながら復職もしました。
結局、その頃の生活費として少し借金をしてしまいました。
相手の方が保険に入っていたので、かかった通院代や交通費を全額保険で賄ってくれたので助かりましたが、仕事を休んだ休業補償や痛くつらい思いをしたことはすぐに償っては頂けず、まだ今現在も終わってはいません。
慰謝料や休業補償が頂けたら、返済するつもりでいます。
年内に決着がついたらいいのですが…

結局、私の動きが悪い…と言う印象がついてしまったのか、もともと病気のせいでフラフラしてたからなのか、ただ相性が悪かったのか、職場の利用者さんに疎ましがられ、バカにされた形で退職となってしまいました。

何だったんでしょうか?
私も「大殺界」とかあると思っています。
誰でも、うまく事が運ばなかったり、悪いことが重なったりすることを実際でも本でも歴史でも見聞きすることがあります。
今の私がまさしくそれならば…
とにかく出来るだけ静かに去ってくれることを願うだけです。
自分への試練…?
どうにかして避けていきたいところですが、真正面から受けた方が良いという場合もあります。
ジタバタしても仕方ないですよね。
こういう時は…