ブログの力・・・見つけた「脊髄小脳変性症」の人に感謝
昨日、同じ脊髄小脳変性症の方のブログを発見した。
普通の生活を普通に綴っていらっしゃることがうれしかったです。
この病気は個人差が激しく、同じ病状で進行するとは限らない・・・
と、思っています。
私が12歳の時から母が亡くなるまでの31年間の母の状況と、時々来る同じ病気だった叔父の様子しか見ていません。
母と叔父の様子は似ている所が多かったのですが、私の兄妹は3人とも
「叔父さんの方が進行が早い…」
と、思っていました。
実は、ここ3年ほどで兄妹が続けて告知を受けました。
3人共「脊髄小脳変性症」と診断されてしまったのです。
末っ子の私が一番最初に告知を受けましたが、兄も姉も更年期のような症状にずっと悩まされていました。
私が告知をされたことで、まさか自分も・・・と思い、それぞれ私の主治医のところへ診察に行きました。
兄も姉も遺伝子検査を受けて「陽性」となりました。
姉は扶養範囲でパートをしながら生活していました。
プライドの高い姉は、「もしかしたら・・・」と長年思っていたようなのですが、検査を受けようとはしなかったようです。
妹の私にも詳しく話すことはありませんでした。
兄は長年トラックの運転手をしていましたが、2~3度軽い事故を起こし、内勤となり、仕事場内での居場所がなくなり退職し、貯金を切り崩しながらアルバイトで生活していました。
今から思えば、自覚があったといえばあったのですが、じわじわとゆっくりゆっくり進行するこの「脊髄小脳変性症SCA6」は晩年性(50代前後に発症するらしい)であり、初期の頃はただ単に「老化」と考えてしまったために、おかしいな・・・と思いながらでも生活ができたのですが、各々の生活スタイルの応じて、少しづつ影響が出ていた・・・という事だと思います。
この「脊髄小脳変性症」は、次の世代は発症年齢が早まる傾向にあるらしいのですが、私たち兄妹は母が発症した頃と比べ変化が遅いのです。
今年私は、私が記憶にある母の姿と同じ年齢になりました。
私の記憶にある母は、その時はまだ病名が分からなかったのですが、歩きにくくなり、外出するにはシルバーカーを使っていました。
中学校1年生の私は一緒に買い物へついて行ってました。
母の時は遺伝子検査をしなかったのか、遺伝子検査の記録は手元にはありません。
私たち兄妹は主治医の先生に進められてそれぞれ研究機関で遺伝子検査をしたので、自分の遺伝子がどのような状態なのか知ることができました。
大事に保管しています。
姉の検査は千葉の研究機関でしたが、兄の検査は私と同じところでした。
書いてあることは専門用語が多いので分かりにくいですが、要するに普通の人の遺伝子より一部長い・・・らしいです。
こんな事だけで人体にも影響が出るなんて遺伝子ってすごいです。
この長さが長ければ長いほど症状が重たいらしいです。
私たちの場合単純な小脳失調だけです。
進行も遅いので、もしかしたら車いすにならずに生きていけるかもしれません。
疲れやすいですが、無理をしなければ外出もできます。
今のところ遅いですがパソコンも打てます。
彼氏とパチンコにも行ったりします。(*´ω`)
でも、時々自分が役に立たなかったり、したい事ができなかったり、やる気にならなかったり、自信がなくなってくると、どこかで頑張っている同じ病気の方の様子を伺うと元気が出ます。
ありがとうございます。