私、脊髄小脳変性症です。kiki ’s blog

母方の家系の遺伝性脊髄小脳変性症(SCD6)を発症しました。私がどんなふうに生活しているのか知ってもらえたら同じ病気の人の何かの励みや参考になれば幸いです。落ち込む時もありますが一生懸命生き抜く事が母との約束でもあります。

脊髄小脳変性症(遺伝性)その二

今日も大阪は雨です。

今住んでいるところは彼の古い持ち家で、ベランダも部屋も狭いし、やたら使わない物はたくさんあるし・・・
こんな雨の日は家の中に洗濯物を干すもの大変で、鴨居を使って壁につるして乾かしてます。

今でも家の事は何とかできます。
座ってパソコンを見たり、キーボードを打ったりしている方がそりゃ楽ですけど・・・
なぜかって?
振り返ったり、頭を動かすことが少なくてすむから・・・
掃除も洗濯も案外くるくると振り返って、動き回るじゃない?
このくるくるについていかないんです(´・ω・`)
目が・・・ん?頭が・・・かな?

正社員で働いていた時も、一番最初に”おかしいな・・・”と感じたのは目だった。
もともと、パソコンで書類作成なんかが多かったし、家でもテレビよりパソコンで映画やドラマを見ることが多かったから、目が疲れやすい・・・と思っていました。
老眼も始まっているんだろう・・・と思っていました。

ふと気が付いたら、踏切を通過する電車の中の人をジ~っと見れなくなっていた。(この頃は老眼と思っていた)
だんだんと買い物をしていて、ショーケースや品物の名前や金額が、歩きながら読み取れなくなっていった。
階段を上り下りすると、踊り場を回ると大回りしているような感覚、足は普通に歩いているはずなのに、頭だけが弧を描いているような・・・感じ。(この頃、明らかにめまいがしていた)
廊下をまっすぐ歩いているはずなのに、目が揺れているように感じて不安だったので、壁に手をついてしまうようになりました。
そのうち、何かに触っていないと、立ったり座ったり、歩いたりがちょっと怖い・・・と感じるようになり、
だんだんと少しづつ、立つときの掛け声が、
”よっ!(;'∀')”から”よっこいしょ(;´・ω・)”となり、
今、寝不足の時は”ん゛~っこいしょっ(;´Д`)”となって来ています。

これから、(;´Д`)→(◎_◎;)→:(;゙゚''ω゚''):となっていくんでしょうか。

ほかの人はどのような過程を経過しているのか、いろいろな脊髄小脳変性症の方のブログを拝見しても具体的にどのように見えるのか・・・とか、ニュアンスまではわかりずらいです。
物が「二重に見える」と言われているのですが、私は以前近眼だったので、その頃の状態がひどくなっただけのようにも思えるし・・・
めまいもそうだったのですが、はじめは更年期障害か、子宮筋腫による貧血と思っていました。
婦人科にも行ってたし、甲状腺機能外来にも行っていました。
遺伝で母と同じ病気になる可能性があるとは聞いていましたが、その時の症状が、遺伝性の病気と関係しているとは結びつかなかったのです。

遺伝の病気かもしれない・・・と最初に感じたのは、目の疲れがひどく、老眼かもしれないから眼鏡を作りなおそう・・・と思って眼科に行った時のことです。
眼科の先生から
眼振が出てるね~、うちでは対処できないわ~」
と、言われました。
眼振・・・
以前、脊髄小脳変性症を調べていた時、どこかでその症状について書いていたのを思い出しました。
”とうとう来たかぁ~”と、思いました。
どんな病気かは、介護をした実体験で学んでいたので、結構冷静に受け止めていました。
その後、自分の事だけではないと思い知らされていますが・・・

母と同じ病気になって、母が感じていた事、どうして母の動きがあのようなものだったのかが少しづつわかって来ています。
「こんな感じだったんだぁ~」って、感じる事が出来るのは、少し嬉しいのです。
「もう‼この体、もっとスピーディにならんのかぁ?」
って、ムカッと来ることもあるんですけど、お母ちゃんの笑っている顔を思い出すんですぅ。
叔父さんの話ですが・・・昔は韓国美人だったんですって・・・(^◇^)
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