脊髄小脳変性症(遺伝性)
2014年9月、脊髄小脳変性症SCD6型と告知されました。
私の母は私が小学6年生の頃から変な歩き方になり、今でいうシルバーカーを利用して外出しておりました。
姉といろいろな病院へ行きましたが、原因がわからず、病名が分かったのは、私が高校生の時でした。
「脊髄小脳変性症」
今から思うと、ずいぶん前にドラマや映画になった「1リットルの涙」の原作者、木藤亜也さんと同じ頃、この病気にかかったことになります。
この病気は個人差があり、発症する年齢によっても随分違う。
木藤亜也さんは中学三年生の時の成長期に発症しているので進行が早かったのかな・・・と思います。
私の母は晩年性で遺伝性・・・
その当時生存している親類の中で一番最初に発症しているので、母の弟である叔父が発症するまでは遺伝性とはわからなかった。
祖母も祖父も天寿を全うして他界していました。
当時、母と叔父の話によると、
「韓国の墓が水浸しになっていたことがある・・・」
と、はなしていました。変に納得していました。
それから母はいろんなことがだんだんとできなくなり、車いすとなり、テレビを見て過ごす毎日となり・・・80歳で他界してしまいました。
だんだん体が思うように動かなくなってきた母は自分から施設入っていきました。
娘たちが結婚し、それぞれ家庭と子育てに忙しくなることを見越して、入所を決意したのだと思います。
母が59歳の6月30日でした。
姉は嫁ぎ先で同居していた義母や義父が相次いで他界した折、旦那さんが母との同居を申し出てくれました。
それから、姉は介護の仕事をしていた私に、家の設計を相談してきて、
「バリヤフリーにして、お母ちゃんの部屋からトイレを近くに・・・お風呂場まで車いすで移動できるように・・・スロープ付けて・・・風水も考えて・・・それと、中庭作って・・・」
「え~~?中庭?この敷地で?中庭は気が抜けるから風水的にあんまりよくないで!」
住〇林〇さんの担当者さんと相談しながら、案を4つに絞った。
姉は最終的に中庭の案を選択しました。
家が出来上がり、母を招き入れ介護施設を退所できたのは、
母が75歳の7月1日でした。
姉が対処の手続きを終え、私に書類を見せてきた。
「見てみ!これ!」
日付がぴったり18年だった。
改めて、「お母ちゃんごめんなぁ~こんな長い時間・・・ごめんなぁ~頑張ってくれてありがとう」
と心から感謝しました。
母の孫たちは成長し手がかからなくなっていました。
これから私頑張るわ!
毎日毎日ご飯持ってくる!様子見に来るわ!
そう、姉は介護の仕事をしている私をフルに使って、昼は私、夜は姉・・・としました。
私はお昼の母のごはんを保冷バックに持ち、午前中は地元のヘルパーとして働き、お昼を自転車で30分の他市の姉の家に行き、母とお昼を食べ、用事をして夕方地元に戻り、ヘルパーの仕事をするという毎日を5年間続けました。
母は最期の1週間いつもと違う様子でしたが、毎日一緒にお昼ご飯を食べていました。
いつもは何とか自力でおトイレに腰かけていましたが、その日は立ち上がれなかったんです。
”なんだ?足がまひのようだぞ・・・ん?・・・もしかしたら・・・”
という予感が湧き上がりました。
「お母ちゃんごめんな・・・私、行かなあかんから、利用者さんが待ってるから、大丈夫やんな・・・」
声もなくうんうん・・・とうなづく母・・・
思わず抱きしめて泣いてしまいました。
いつも通り、手で掴めるおやつとコップ半分のコーヒーをテーブルに置き、私は利用者さんの待つ地元へと帰りました。
夜中2時、姉から電話がありました。
雨が降っていましたが、自転車で姉の家に走りました。
びしょびしょになりましたが、それよりも母は冷たかった。
警察が来ました。
”不審死”になるらしいです。
現場検証が終わり、死因は心筋梗塞と言われました。
寝ている間になくなりました。
母と過ごした日々、すべてがこれからの私の参考になっています。
毎日、母はこんな感じだったのかなぁ・・・と考えます。
そういえば・・・今の私のようにまぶしそうに眼を細めていたのは、こんなんやったからやぁ~・・・ってな具合です。
私も同じくらいの年齢で発症していると思います。
この病気は、発症の時期を特定できません。
治療方法もありません。
だんだんと少しづつ、少しづつ現れてきてます。
脊髄小脳変性症と告知されてから、よく考えるんです。
いつごろから症状が現れていたのかと・・・
まだバリバリ働けていた頃、母の介護とヘルパーの仕事と家の用事と子育てと、今からでは到底できないスピードで日々を過ごしていた頃、ペットボトル6本をもって、当時住んでいたマンションの、自転車置き場から部屋まで持って上がることが辛くなって、子供たちに癇癪を起したことがあります。
あの頃から、筋肉が弱くなってきてたのかな・・・って。
私の筋肉の構造とか調べたらなんかわかるんちゃうかな?
私の子供達が50代になる頃には、IPS細胞で治療する方法が見つかるかもしれません・・・